奈良県 ・ 西光院「身そぎの長谷寺式観音の巻」
香芝の安遊寺から葛城方面へ戻り次に向かったのは西光院。
寺号を未来寺といいますが院号の西光院が通り名となっています。


創建は寛文二年(1662)、開山は廣誉源貞大和尚(こうよげんていだいかしょう)。
開創以来、浄土宗に属する。
所在の竹内は二上山の南麓、熊谷川の上流に位置し、推古天皇に難波と大和を結ぶ初の官道として開かれた竹内街道の街村として早くから人や物の流通があり、特に近世には伊勢参りや山上参り(大峰山)、長谷寺参詣の要衝として旅籠や商家が数多く存在して栄えた。
西光院の歴史としては26代の住職と三百年余りの時を数えますが、前身の時代があるであろうことは御本尊が寺歴を遥かに遡る平安期の阿弥陀仏坐像であることから想像に難くない(近隣の當麻寺か、その系列寺から移された等の諸説あり)。
約束の時間より早く到着しましたが快く迎え入れて頂きまして本堂から拝観させていただきました。
ご本尊は平安中期とされる阿弥陀如来坐像で脇侍には大和座りの観音菩薩と勢至菩薩が。
上品下生の来迎院を結び、堂々とした体躯で座されています。
尊容は大きめの鼻に豊かな頬ときつく結んだ口元で中央仏ではなく地方仏の色を表した阿弥陀様です。
独特な風貌でやや頭部が大きくずんぐりとした体型に感じますがこの独特感がたまらない。
ビバ地方仏なわけですよ。
この1体でしか味わえないであろう独特感が非常に暖かく 人々の想い、信仰の歴史をより強く感じるのは僕だけでしょうか?


またこのご本尊は一木造りとのことでそこにも平安期の中央仏よりも地方仏の重みが感じられます。
重厚で鈍重な味わい深い阿弥陀如来様です。
江戸時代に補修がなされ金箔等が貼り直されているそうで、その際に脇侍の観音勢至が添えられたのではないでしょうかとのご住職のお話でした。
脇壇には国の重要文化財に指定された平安後期の地蔵菩薩立像が。
一木造りで木沓を履かれ頭部が大きく5頭身ほどのずんぐりとした幼児体型のようなお地蔵様です。
衣は浅めの流れるような美しい衣紋を描き太ももはたっぷりとした量感があります。
厚い唇に穏やかな眼差しで若々しく体型のっこともあって非常に若く童子のように見えるお地蔵様です。
ご本尊同様、江戸期に補修がされお顔や胸元は金箔が貼り直されていますが衣に関しては金箔は剥がれ落ち木目が現れ非常に趣があって美しいです。
やはりこの時代感がいいですね。



そして次に案内されたのが観音堂。
本堂と棟続きで廊下を渡って移動します。
観音堂には長谷寺式の十一面観音菩薩像が。

こちらの観音様にはいわれがありまして、近江の国で大きな洪水があったとき流れ着いた巨木を噂を聞きつけた當麻郷の男が霊木であろうと観音を彫ることを考えます。
そしてその巨木を當麻まで運ぶ道中で竹内までやってきたところ、その街道は狭く曲がりくねっていたため巨木の端の部分を切り落として運びました。
その端木も霊木の一部であると彫られた観音様がこちらの観音様で、身をそいでまで現れてくださっということで「みそぎ観音」と呼ばれているそうです。
岩座の上に立ち左に腰を落とし左手は水瓶、右手は垂下して錫杖を持つ形。
像高は185cm、表情はややきつめで下方を見据えるようです。
こちらの観音様も江戸期に補修がされまして、お顔は厚めに金箔を押された様でその彫技はなかなか確認することが出来ませんとご住職が仰っておられました。





地方色豊かな阿弥陀如来、幼児を思わせる地蔵菩薩、霊木より身をそぎ彫り出された十一面観音と素晴らしい仏像に出会えました。
また、ご住職が非常に暖かくお優しく本当に気持ちのいいお参りをさせていただきました。
後ろ髪を引かれながら次の目的地の置恩寺へ。
西光院
奈良県葛城市竹内959
TEL 0745-48-2364

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寺号を未来寺といいますが院号の西光院が通り名となっています。


創建は寛文二年(1662)、開山は廣誉源貞大和尚(こうよげんていだいかしょう)。
開創以来、浄土宗に属する。
所在の竹内は二上山の南麓、熊谷川の上流に位置し、推古天皇に難波と大和を結ぶ初の官道として開かれた竹内街道の街村として早くから人や物の流通があり、特に近世には伊勢参りや山上参り(大峰山)、長谷寺参詣の要衝として旅籠や商家が数多く存在して栄えた。
西光院の歴史としては26代の住職と三百年余りの時を数えますが、前身の時代があるであろうことは御本尊が寺歴を遥かに遡る平安期の阿弥陀仏坐像であることから想像に難くない(近隣の當麻寺か、その系列寺から移された等の諸説あり)。
約束の時間より早く到着しましたが快く迎え入れて頂きまして本堂から拝観させていただきました。
ご本尊は平安中期とされる阿弥陀如来坐像で脇侍には大和座りの観音菩薩と勢至菩薩が。
上品下生の来迎院を結び、堂々とした体躯で座されています。
尊容は大きめの鼻に豊かな頬ときつく結んだ口元で中央仏ではなく地方仏の色を表した阿弥陀様です。
独特な風貌でやや頭部が大きくずんぐりとした体型に感じますがこの独特感がたまらない。
ビバ地方仏なわけですよ。
この1体でしか味わえないであろう独特感が非常に暖かく 人々の想い、信仰の歴史をより強く感じるのは僕だけでしょうか?


またこのご本尊は一木造りとのことでそこにも平安期の中央仏よりも地方仏の重みが感じられます。
重厚で鈍重な味わい深い阿弥陀如来様です。
江戸時代に補修がなされ金箔等が貼り直されているそうで、その際に脇侍の観音勢至が添えられたのではないでしょうかとのご住職のお話でした。
脇壇には国の重要文化財に指定された平安後期の地蔵菩薩立像が。
一木造りで木沓を履かれ頭部が大きく5頭身ほどのずんぐりとした幼児体型のようなお地蔵様です。
衣は浅めの流れるような美しい衣紋を描き太ももはたっぷりとした量感があります。
厚い唇に穏やかな眼差しで若々しく体型のっこともあって非常に若く童子のように見えるお地蔵様です。
ご本尊同様、江戸期に補修がされお顔や胸元は金箔が貼り直されていますが衣に関しては金箔は剥がれ落ち木目が現れ非常に趣があって美しいです。
やはりこの時代感がいいですね。



そして次に案内されたのが観音堂。
本堂と棟続きで廊下を渡って移動します。
観音堂には長谷寺式の十一面観音菩薩像が。

こちらの観音様にはいわれがありまして、近江の国で大きな洪水があったとき流れ着いた巨木を噂を聞きつけた當麻郷の男が霊木であろうと観音を彫ることを考えます。
そしてその巨木を當麻まで運ぶ道中で竹内までやってきたところ、その街道は狭く曲がりくねっていたため巨木の端の部分を切り落として運びました。
その端木も霊木の一部であると彫られた観音様がこちらの観音様で、身をそいでまで現れてくださっということで「みそぎ観音」と呼ばれているそうです。
岩座の上に立ち左に腰を落とし左手は水瓶、右手は垂下して錫杖を持つ形。
像高は185cm、表情はややきつめで下方を見据えるようです。
こちらの観音様も江戸期に補修がされまして、お顔は厚めに金箔を押された様でその彫技はなかなか確認することが出来ませんとご住職が仰っておられました。





地方色豊かな阿弥陀如来、幼児を思わせる地蔵菩薩、霊木より身をそぎ彫り出された十一面観音と素晴らしい仏像に出会えました。
また、ご住職が非常に暖かくお優しく本当に気持ちのいいお参りをさせていただきました。
後ろ髪を引かれながら次の目的地の置恩寺へ。
西光院
奈良県葛城市竹内959
TEL 0745-48-2364

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この記事へのコメント
3回目のTRYでようやく連絡が取れ、2月6日に拝観してきました。
当麻寺はその間2回いけましたが。私は奈良の北部に住んでいるので
中部のお寺はあまり知りません。
若い住職さんに熱心な説明を受けました。いい仏像に巡り合えたと思います。
当麻寺はその間2回いけましたが。私は奈良の北部に住んでいるので
中部のお寺はあまり知りません。
若い住職さんに熱心な説明を受けました。いい仏像に巡り合えたと思います。
奈良の中部や南部にも良仏、美仏がたくさんいらっしゃるので僕も常に拝観計画を練っています( ̄^ ̄)ゞ
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葛城市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。
URL :
- tsutty - 2013年10月14日 17:47:56
是非 ご来館 いただければと 思います。
mieji.jp/