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高知県・雪蹊寺

種間寺より車で10分、次に訪れたのは雪蹊寺。
第33番札所で、霊宝館には伝運慶作の薬師三尊像、湛慶作の毘沙門天像、吉祥天像、善膩師童子像に加え、十二新将像が安置されています。

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雪蹊寺。
弘法大師により創建され、当初は真言宗 に属し少林山 高福寺と称します。
その後、慶運寺と寺名を改めていたことが天正6年(1588年)の長浜地検帳により確認されています。
一説によると、運慶、湛慶親子が薬師三尊像、毘沙門天像の造像に当たるため滞在したことからそう呼ばれたとも言われているそうです。
戦国時代にはいり、寺勢衰え廃寺となるも土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺院より月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。
元親の病没後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号「雪蹊恕三大禅定門」から寺名を「雪蹊寺」と称した。
四国八十八ヶ所霊場では珍しい臨済宗妙心寺派の寺院。
※四国八十八箇所霊場では2ヶ寺のみ。もう1寺は第11番札所藤井寺。


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さて、仏像好きが向かうのは霊宝館。
先述したようにこちらの霊宝館には伝運慶作の薬師三尊像と運系の息子 湛慶の真作と判明している毘沙門天三尊像、そして鎌倉期の十二神将像が安置されています。
薬師三尊に関してはあくまでも伝承の域を出ず、作風からも運慶よりも時代の下る仏師の作であろうと思われるのですが、毘沙門天、吉祥天、善膩師童子は毘沙門天像の足枘に書かれた墨書銘から湛慶の真作であることが分かっています。

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毘沙門天像は立ち姿が非常に力強く、腰を左へ捻る腰つきにも力が漲っています。
表情も若々しく迫力に満ちて、頬の張りやおデコ回りの肉付きというか顔筋も流石。
しっかりと見開いた眼差しに運慶の血筋を感じます。運慶のパンパンにはち切れそうな、甲冑すら押し破りそうな肉量からは大人しく感じますが、それでも漲る迫力は血筋ですね。
右腕を欠損しても失われないバランス感も非常に素晴らしいです。
この方にお会いしたくて何度でも来たくなります。


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同じく力強さを見せる吉祥天とは打って変わった天真爛漫な愛らしさを見せる善膩師童子。
悪意の欠片も存在しないつぶらな瞳や表情は高山寺の木彫狗児 の良く似ていてでこちらの像も湛慶作ではないかと考えられるのもうなずけます。
一目見て、あっ高山寺の。。。と僕もすぐに木彫狗児 が頭に浮かびました。
ん~秋にももう一度巡るつもりなので、その時は薬師三尊、十二神将に注目して拝観してこようと思います。





高福山 雪蹊寺(せっけいじ)
高知県高知市長浜857-3
TEL : 088-837-2233
拝観 : 要予約
拝観料 : 志納










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Author:迦楼馬-カルマ-
仏像の美しさに感動して以来、ひたすらに仏像拝観に明け暮れる四十路街道を走る男の拝観日記。
仏像拝観歴は非常に浅いので間違いも多々あり!日々精進でございます。
僕自身が見て感じた仏像観を記していますので美術史的、仏教学的に誤っていることが多々あると思ので、その時はご教授ください。



訪れた寺社の全てを記事にするととても追いつかないので佛旅速報でまかない本編記事はピックアップという形になっていきます。

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