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滋賀県・高月観音堂

3月21日


本尊 千手観音立像はは室町時代の作で、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦の際には栄華を誇った伽藍はことごとく焼失してしまったが本像は自ら兵火をのがれて岩上に立たれたとされ、火災から村人を守る「火除けの観音さま」として広く信仰されているとか。

世話方さんにお堂を開けて頂き内陣へ通して頂いた。


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像高154.2cm 檜材の寄せ木造り。
室町時代の作であるが綺麗な木肌が現れ年代を思わせない出で立ちとなっている。
これは黒ずみ汚れてしまった仏様を不憫に思った村人が洗い流してしまったそうで、そのことにより文化財の指定は受けることが出来なくなってしまったいるとか。
文化庁から認められていると言えば語弊があるかと思いますが、そう言った特定の機関外の補修修復は文化財指定に影響がでるそうです。

しかし、指定があろうとなかろうとこの本尊の美しさが変わるものではありません。
程よく肉感的で優しい尊容は惹きつけるものがあります。欠損なく広がり残る腕の数々も素晴らしいです。
両の足をやや屈して合唱する姿に慈悲深いものを感じかなりの時間本尊の前で佇んでしまいました。

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本尊以外にも近隣集落で祀られていた弁財天、毘沙門天、不動明王、地蔵菩薩といった多数の仏像も安置され見仏ファンには見逃せない場所であります。


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滋賀県・正妙寺

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西野薬師堂より徒歩で10分ほど。
西野の集落の北はずれ、日枝神社の上手、山の中腹にお堂は建っています。
高月地方の他のお寺と同様こちらも世話方さんへ拝観連絡を入れお堂を開けていただく。

こちらの本尊は千手千足観音像で日本で唯一かもしれないお像です。
千足を持つ仏像に関しては鎌倉時代後期に「阿裟縛抄」-あさばしょう- に千足の観音の記載がある。
それによると天台の高僧円珍が唐より請来して園城寺(三井寺)に納めたとある。
園城寺に実在するのかはわかりませんが、実在の仏像として拝観出来るのはこちらの正妙寺だけでしょう。


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少し小高い丘の上に建つ小さなお堂。
そこにいらっしゃるのは強烈な印象を残す千千足観音。


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像高42.1cm 寄木造り。
多くの金箔を残すものの江戸期の塗り直しであるのか像自体が江戸期程であるのか詳細は不明。
頭上に化仏を乗せる憤怒相で三眼。
錫杖を握る両の手以外は横へ突き出すように生え出し、大地に立つ2足以外も横から流れるように生え出す劇画的でありユーモアな造形です。
その造形に魅了されるといった感動ではなく、一度見ると二度と忘れることが出来ないインパクトを持ち、見仏記ファンなら必ず訪れるべき場所であります。
この方を拝観せずして湖北見仏をしたとは言えないほど今や有名な湖北を代表する仏像です。



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滋賀県・西野薬師堂

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かつて西野の小字寺山に天台宗の泉明寺と称する寺があり延曆の初め頃(782~85)伝教大師がこの地を訪れ薬師如来、十一面観音、十二神将を刻みこの寺に安置したという。
また大友皇子の末裔・西野丹波守家澄が菩提寺として庇護したといわれる。
その後度重なる戦乱により荒廃し、永正15年(1518)2月には浅井氏の兵火にかかり堂宇は灰塵に帰した。
しかし仏像は村人達の手により救い出され、大正15年に国宝の指定を受け、制度の改正によって昭和25年に重要文化財の指定を受け今に至る。
現在は充満寺の所蔵として村人達に守られながら薬師堂に安置されています。



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伝薬師如来立像。
像高159.4cm 欅材の一木造り。

両手先は後補となり阿弥陀如来のように来迎院を結んでいます。
後補であるため元々の尊容を伺い知ることは出来ませんが、古くから薬師如来として地域では信仰されてきた歴史から薬師如来として造像されてものと思います。

仏教伝来初期の頃は薬壺を持たない薬師如来が多い。
薬壺を持つ像容が彫られるようになったのは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降だと考えられています
この書に薬師如来は左手に薬壷、碗を乗せるとの記載があるそうです。

どっしりとした体躯でなで肩。
張りのある力強い印象を受けます。
太い腿やY字の衣紋線に平安の特徴が色濃く伺えます。
鼻筋が通り張った頬に男性的な薬師如来だと思います。


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十一面観音菩薩立像。
像高166.7cm 檜材の一木造り。
薬師如来と同じく金箔の剥げ落ちた下地の漆材が見え赤褐色の風貌。
しかし造形は趣を異にし、肩は張り胸も厚く腹周りの量感も厚い艶かしい魅力をたたえます。
折り返す衣や両の股の間の禍紋に翻波式衣紋と美しく実に魅力的な方です。

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見仏記を好きな方なら必ず写真に収めるであろう「こどもかいかだん」(笑)


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滋賀県・赤後寺

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日吉神社境内に建つ。
開基は行基とされ、開運の仏様と名高い本尊は平安初期の作で重要文化財に指定。
災い転じて利となす「転利(コロリ)観音」といわれ、三回参拝すれば極楽往生できるともいわれています。
姉川の戦い、賤ヶ岳の戦火から守る為に土中に埋めたり、川中に沈めたりとし隠してきたが河川の氾濫によりご尊像は各々 手首や腕を流され頭頂仏を流され、尊顔にも多数の傷を負うこととなってしまったそうです。

そのあまりの痛々しいお姿に村人は長らく秘仏としてきたが、昭和44年に重要文化財に指定されたことを受け公開に踏み切ったそうです。
公開に至るまでも幾度となく話し合いが持たれ思い悩み葛藤されてきたそうだが、今日には常時拝観が可能となりその尊様を拝むことが出来る。

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千手観音菩薩立像。
平安時代、檜材の一木造り。
胸から腹回りにかけて肉付きがよくゆったりした印象を与える。
右足をやや屈し半歩踏み出そうとする直前の像様です。

元々は腕を42本持つお姿であったが、度重なる戦火等から現在は12本を残すのみ。
また残った腕も手首より先はなく、世話方の方はしきりに痛ましいお姿でと仰っていた。
しかしお顔には大きな欠損なく神々しいお姿を感じさせるに十分な尊様であると僕は感じました。


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聖観音菩薩立像
平安時代 、檜材の一木造り
像高180cmを越え、張った肩から肉付きよい胸からくびれたしなやかな腰回りと非常にスタイリッシュで美しい観音様です。
お顔は瞳を伏せた様な優しいお顔立ちで慈悲深さを感じます。
天衣の細かな彫り込みや下肢に見える翻波式の衣紋から檀像風な印象を受けます。

こちらの聖観音菩薩も千手観音と同様、手首より先を失い足先も失ったお姿。
痛ましいながらも素晴らしい像様です。


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川に沈め身を隠した時に流されない様にと その身に乗せたと伝わる枕石。

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奈良県・大安寺 馬頭観音ご開帳

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奈良県・妙法寺(御厨子観音)

この日最後に向かったのは奈良県橿原市の妙法寺。
御厨子観音という通称でしられるお寺です。
当日に拝観予約を入れて訪れました。

妙法寺 拝観料300円 駐車場有り

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本堂に大きな逗子が中央にあり厨子の四面 全てが開く仕組みとなっています。
南面に御本尊 十一面観音立像、脇侍の普賢菩薩、文殊菩薩。
東面に千手観音菩薩、虚空蔵菩薩。
西面に勢至菩薩、大日如来。
北面に阿弥陀如来。

南面の御本尊十一面はやや距離があり煤けているのでお顔はよく拝見できませんでしたが、写真で見る限りではへの字に口を結んだキリリッとしたお顔をされています。
こちらも錫杖を持たれた立ち姿でした。

南面は法具仏具などで間近までは行けませんが他の面は間近で拝観することができます。
千手、虚空蔵、勢至のお顔は清水寺の御本尊(お前立)に良く似たお顔で普遍的なというか安心感のあるお顔立ち。
大日如来は目が大きく白眼が目立ちちょっと怖い印象がありました。
体躯の色も赤みを帯びてたような記憶が。。
どこのお寺だったかなぁ。。。TV見仏記で目の大きく白目の部分が目立つ体躯の赤い薬師如来坐像がいたなぁ。。。たしか秘仏の。
あの薬師に似た感じだったなぁ。

この小さなお堂の厨子の中に狭しと仏像が四面に並んだ世界はなかなかに迫るものがあり凄いなぁとなんども声に出して呟いてしまいました。
上記仏像の他にも厨子の中には愛染明王、毘沙門天、不動明王なんかもいらっしゃいました。

また、奥の厨子には不動三尊がいてこれがまたなかなかグッとくる不動明王でした。
まあ お手頃サイズな持って帰りたい衝動が沸き起こる仏像です(笑)
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奈良県・喜光寺

拝観したかったお寺の都合がいくつか合わず空きの時間が出来たので訪れたことのなかった喜光寺へ。

一昨年の5月に出来上がった南門をくぐり本堂へ。
本堂には阿弥陀三尊がいらっしゃいます。
半眼の焦点の合わないような目をされたす静かで穏やかな慈悲深い阿弥陀如来坐像。
2.33cm丈六の阿弥陀如来で重要文化財指定を受けています。
肩口から胸にかけて、また肘周りなど優しい衣紋の流れも綺麗です。
光背に化仏を擁し天女も立ち上る荘厳な佇まいでお顔の優しさ、金の剥落具合など引き込まれるお姿。
やっぱ目がいいなぁ。
どこを見ているのか。。焦点の合わないような半眼の目が遠くを感じさせ近寄りがたい雰囲気を尊大さを感じさせます。
阿弥陀やっぱいいなぁ好きやなぁ。。

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脇侍の観音勢至はどこか微笑んでいるような。。いないようなお顔立ち。
お堂に入り見上げた瞬間笑ってる!?と思ったんですがふと見ると笑ってはいないなぁ。。でも微笑んでる?
見る角度、見る瞬間によって変化する観音勢至。
趺坐する足も足裏を見せる珍しいんでは?と思う崩したあぐらの様な姿に見入ってしまいました。
両手の印相のバランスと足の形のバランスが凄く良くて写真をパシャリ。
喜光寺さんは写真撮影OKです。
写仏好きな方は心ゆくまで写真を撮りましょう(笑)

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プロフィール

迦楼馬-カルマ-

Author:迦楼馬-カルマ-
仏像の美しさに感動して以来、ひたすらに仏像拝観に明け暮れる四十路街道を走る男の拝観日記。
仏像拝観歴は非常に浅いので間違いも多々あり!日々精進でございます。
僕自身が見て感じた仏像観を記していますので美術史的、仏教学的に誤っていることが多々あると思ので、その時はご教授ください。



訪れた寺社の全てを記事にするととても追いつかないので佛旅速報でまかない本編記事はピックアップという形になっていきます。

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